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第128回学術集会(平成26年10月25日(土),26日(日))

【特別企画 生殖医療討論会】
生殖医療管見


吉村 𣳾典
慶應義塾大学名誉教授


 生殖医療においては,生命を操作した結果が世代を超えて引き継がれてゆくことになり,その影響には計り知れないものがある.不妊症で子どもに恵まれない夫婦にとって子をもちたいという願望は痛いほど理解できる.それに応えられる医療を提供できるのであれば,クライエントの希望に応えるのが不妊治療の原点であり,現在の生殖医療は可能な限りその要望に対応しようとしている.しかしながら,生殖医療は単に不妊に悩むクライエント夫婦に子を授ける医療であるばかりでなく,生命の起源に対する考え方,家族観や社会観を大きく変える医療として捉えられるようになってきている.少子化とも相まって,今後生殖補助医療によって誕生する子どもは増えるであろう.このような新しい医療技術を社会はどのように受け止め,家族としてどのように子どもを受け入れ,育てていくのか改めて問題となるであろう.自己決定に基づく生殖医療であっても,生まれてくる子どもの同意を得ることはできないということである.  時空を超えた絶対的な倫理というものはなく,倫理観とは時代とともに,また技術開発とともに変化するものである.医療技術の進歩は新たな倫理的問題や社会的状況を産み出すことになる.医療における倫理問題は科学技術の進展と不可欠であり,大きな影響を受けることになる.また第三者を介する生殖補助医療においては,生まれた子どもの法的地位保全も重要な問題であり,親子関係を含めた新たな社会的状況を考慮しなければならなくなる.子どもは医療行為がなされる時点では現存せず,問題が顕在化する時の社会一般の状況や子の家庭的環境などは全く予想できないため,厳密な意味での事前リスク評価は困難である.そのため,考えうるあらゆる事態を想定した慎重な議論を重ね,子の福祉を最優先するような法益が考えられなければならない.人の生命すなわち自然妊娠で生まれた子どもの発育や成長については,人は直接責任を負うことはないかもしれない.しかしながら,もし人の生命を人為的に操作し変更するのであれば,人はその責任を負わなければならないことになる.  生殖医療においては人の幸福追求権や自己決定権の行使が,しばしば人間関係の尊厳にも悖る行為とみなされることがあるかもしれない.言い換えれば,自己決定権を最高原理とする個人主義的自由主義は,時として生殖医療の生命倫理に抵触することがあるということである.この場合大切なことは,当事者の判断や想いが優先されるのではなく,医療技術の進歩を駆使することをわが国が社会として受け入れるかどうかが問題となる.生殖医療の倫理学,すなわち生殖倫理学とは人の尊厳を最高原理とする人格主義の生命倫理学である.  生殖医療における倫理は生まれる子どものための倫理であるといってよい.配偶子より胚がつくられ,そこで初めて人としての尊厳が生まれる.胚は正しく生命の萌芽であり,それを取り払う生殖医療時には高風な倫理観が要求される.その倫理認識は妊娠の成立のみならず,生まれた子どもの成長や発育にまで傾注されるべきである.生殖医療においては,自律性の尊重をはじめとするクライエントの権利論を主張する者もいるが,子の尊厳が一義的に考えられることが望ましい.他に類例をみない医療であるとの認識が必要である.


関東連合産科婦人科学会誌, 51(3) 356-356, 2014


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