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第104回学術集会(平成14年10月19日(土),20日(日))

【特別講演】
ゲノム全解明時代の医療


村松 正實
埼玉医科大学ゲノム医学研究センター


 「ゲノム」とは,1つの生物種における遺伝子の総体(遺伝情報の全体)という程の意味であるが,ある種の生物,特に高等生物においては細胞核の持つDNAの過半がタンパク質をコードするという意味での遺伝子ではないことが判って,上記の定義はそのままでは受け取れないことになった.1990年頃に米国を中心に発進した“ヒトゲノム計画”は,国際協力事業として20世紀の終わりと共にその概要(ドラフト)が完成したが,その内実はギャップが多く,完成には程遠いものであった事が知られている.しかし,そのギャップもようやく埋められ,2003年には一応の完成図が出版される予定の由である事はめでたい事である.何故このような事が起きたかというと,ゲノム計画によって,ヒトのDNAのシークエンシングが進むにつれ,ヒト染色体に含まれる全DNAのうち,エキソン(大体,タンパク質をコードする部分と考えてよい)は,ほんの1〜2%程度であり,イントロンはその20倍以上もあり,遺伝子制御に使われる各種シグナルを含めた遺伝子全体をとっても半分に満たないことが判ったからである.残りの30%以上は,高頻度の反復配列やトランスポゾン(レトロポゾンを含む)などから成り,残りは全くランダムに見える,恐らく意味のない“DNA砂漠”である.ゲノムサイズ(例えば,ヒトでは3×109塩基対)という時は,これら全体を含めて「ゲノム」と言っている.
 ところで,ヒトゲノムの1.5%がエキソンとすると,それは1,000個のアミノ酸を持つタンパク質を1万個コード出来る長さになる.現在,ヒトの遺伝子数は,3〜4万とされており,タンパク質の平均の大きさが300位でないと合わないが,この辺も遺伝子の構造が解明されるにつれて明らかとなるであろう.遺伝子の近傍にある転写制御シグナル等も今後の地道な分子生物学的解析を待たねばならない.しかし,ゲノムの大きな部分を占める反復配列,トランスポゾン,その他の遺伝子砂漠は何をしているのであろうか.少なくとも,現時点で積極的な働きをしているようには見えないが,進化の過程で必然的に生じた利己的DNAや必要だった遺伝子増幅の皺寄せの結果である可能性もあり,又,これらも今後の進化で新しい遺伝子の母体とならないとは言えまい.
 ところで「ヒトゲノム計画」の完成,即ち全ての遺伝子の構造の決定は,ここ2,3年で完成しようが,それらの機能が全て判るには恐らく10年以上かかるであろう.現在までに構造の解った遺伝子で機能の解らないものがむしろ多いという事が,これを裏付けしている.従って,ここ当分は「ゲノム全解明」というのは,おこがましい時代が続くであろう.全ゲノムが解り,1個体の細胞の系譜が全て明らかになった線虫(C. elegans)でさえも,その発生過程のメカニズムが解明されたとは言い難いのである.今後期待されるComputational Biologyが,何処まで,ヒトの発生・分化・老化・疾病などの解明に役立つか,見ものである.もっと,現実的にこれらゲノム的アプローチが医学・医療に与えたインパクトを考えると,それは誠に大きいと言わねばなるまい.
 ヒトの疾病は,遺伝要因と環境要因の相互作用で発生することは常識となって来たが,その遺伝要因だけでも極めて多く,且つ複雑であることが解ってきた.即ち,遺伝子と病気の1対1関係は,特殊な単一遺伝子病にしか成立せず,生活習慣病を含む多くの疾病は複数の遺伝子が関係する多遺伝子性疾患であることが明らかになって来た.疾病の例から見ると,同じ名で呼ばれる病気が実は異なる遺伝子の異常で起こり得ることも明らかとなった.逆に,1つの遺伝子が,その異常の起こり方によって(例えば,失活か,活性上昇か),異なる複数の疾患(症候群)を起こし得ることも明らかになった.即ち,ゲノムの研究は“疾病”の概念さえも変えつつあると言ってよい.
 今回の講演では,以上の現代医学の問題点を述べた上で,最近我々がゲノム的観点から行った研究によってエストロゲン受容体の標的遺伝子の1つEfpの作用機序と乳癌との関係を明らかにし得たので,これに触れてみたい.


日本産科婦人科学会関東連合地方部会会報, 39(3) 223-224, 2002


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