|
<< 学会誌へ戻る
<< 前のページへ戻る
第112回学術集会(平成18年10月29日(日))
【シンポジウムI−3】
医療事故の届出義務と医療事故防止―医師法21条の問題点と法改正への提言―
甲斐 克則
早稲田大学大学院法務研究科(刑法・医事法)・教授
1 はじめに――問題の所在 (1)医療事故→患者死亡→医師法21条の医師の届出義務をめぐる問題発生 (2)医師法21条:「医師は,死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは,24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」. →違反すると罰金50万円以下の罰金(医師法33条の2). (3)都立広尾病院事件(看護師2名がヘパリンナトリウム生理食塩水と消毒液ヒビテングルコネート液を取り間違えて点滴注射して患者が死亡した件を警察に届け出ず,院長が同罪に問われた)で注目を集める. →医師法21条は憲法38条1項(不利益供述強要禁止)違反か→合憲説v.違憲説 (4)最高裁第三小法廷の判旨(最判平成16・4・13刑集58巻4号247頁) (1)「【要旨1】医師法21条にいう死体の「検案」とは,医師が死因等を判定するために死体の外表を検査することをいい,当該死体が自己の診療していた患者のものであるか否かを問わないと解するのが相当であり,これと同旨の原判断は正当として是認できる」. (2)「本件届出義務は,警察官が犯罪捜査の端緒を得ることを容易にするほか,場合によっては,警察官が緊急に被害の拡大防止措置を講ずるなどして社会防衛を図ることを可能にするという役割をも担った行政手続上の義務と解される.そして,異状死体は,人の死亡を伴う重い犯罪にかかわる可能性があるものであるから,上記のいずれの役割においても本件届出義務の公益上の必要性は高いというべきである.他方,憲法38条1項の法意は,何人も自己が刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したものと解されるところ……,本件届出義務は,医師が,死体を検案して死因等に異状があると認めたときは,そのことを警察署に届け出るものであって,これにより,届出人と死体とのかかわり等,犯罪行為を構成する事項の供述までも強制されるものではない.また,医師免許は,人の生命を直接左右する診療行為を行う資格を付与するとともに,それに伴う社会的責務を課するものである.このような本件届出義務の性質,内容・程度及び医師という資格の特質と,本件届出義務に関する前記のような公益上の高度の必要性に照らすと,医師が,同義務の履行により,捜査機関に対し自己の犯罪が発覚する端緒を与えることにもなり得るなどの点で,一定の不利益を負う可能性があっても,それは,医師免許に付随する合理的根拠のある負担として許容されるものというべきである. 以上によれば,【要旨2】死体を検案して異状を認めた医師は,自己がその死因等につき診療行為における業務上過失致死等の罪責を問われるおそれがある場合にも,本件届出義務を負うとすることは,憲法38条1項に違反するものではないと解するのが相当である」. *刑事法の原則からすると疑問もあるが,医療事故の原因を国民が憲法上「知る権利」を有するという観点を加味すれば,異状死の届出義務は許容される. (5)医療事故(死亡事故以外を含む)の届出義務の範囲はどこまでか. →誰が,どこに,いつ,どのように届け出るのか. →医療事故防止にどのように役立つのか. →刑事免責との関係はどうなるのか. 2 医療事故の届出の諸提言 (1)医師法21条・33条の射程範囲 ・患者が明らかな医療過誤で死亡すれば,医師には同条に基づき,所轄警察署への届出義務が発生→当該患者の死体は「異状死体」 (2)「異状」とは何か→必ずしも明確でない ・医療事故との関係では,「過失」というきわめて難解な判断が絡むだけに,一般の医師が「異状」かどうかの判断をすることは難しい場合がある.何より,因果関係が認定しがたい場合があるし(例えば,感染死や特異体質に伴うショック死の場合等),人為的ミスか判然としない場合がある.「異状の疑いがある」という範疇まで広げれば,確かに罪刑法定主義に抵触する懸念がある. (3)日本法医学会(1994年)「『異状』死ガイドライン」(日本法医学雑誌48巻5号(1994)) ・「基本的には,病気になり診断をうけつつ,診断されているその病気で死亡すること」を「普通の死」と呼び,それ以外をすべて「異状死」と呼ぶ. ・さらに5分類((1)外因による死亡,(2)外因による傷害の続発性あるいは後遺障害による死亡,(3)(1)または(2)の疑いがあるもの,(4)診療行為に関連した予期しない死亡またはその疑いのあるもの,(5)死因が明らかでない死体) →必ずしも医療事故の問題を明確に射程に入れたものでないだけに,なお不明確 (4)日本外科学会ガイドライン(2002年7月) 1)「重大な医療過誤の存在が強く疑われ,また何らかの医療過誤の存在が明らかであり,それらが患者の死亡の原因となったと考えられる場合」 2)「何らかの医療過誤の存在が明らかであり,それが患者の重大な傷害の原因になったと考えられる場合」 「診療に従事した医師は,速やかに所轄警察署への報告を行うことが望ましい」 →憲法38条1項により抵触する懸念あり (5)医療事故市民オンブズマン・メディオの提言 (http://www.hypertown.ne.jp/medio/topics/topics011121_1.html参照) ・2001年9月に各都道府県に対して実施したアンケートをもとにして,医療事故のレベルを5段階に分けて,都道府県医療事故報告制度の創設を提言 *レベル5(事故の結果,患者が死亡した場合) レベル4(事故による障害が長期にわたると推測される場合,および生命の危機等深刻な病状悪化をもたらす場合) レベル3(事故のために治療の必要性が生じた場合,および治療のための入院日数が増加した場合) レベル2(事故により患者に何らかの変化が生じ,観察の強化及び検査の必要性が生じた場合,および事故による患者への直接的な影響はなかったが,何らかの影響を与えた可能性があり,観察の強化や心身への配慮が必要な場合) レベル1(患者に対し問題のある医療行為が実施されたが,結果的に被害がなく,またその後の観察も不要である場合) レベル0(患者に対しある医療行為が実施されなかったが,仮に実施されたとすれば,何らかの被害が予想される場合) *警察への届出 (1)医師が死体を検案して異状があると認めた場合(医師法21条),(2)医療事故によって死亡又は重い傷害が発生した場合,又はその疑いがある場合,(3)死因が不明の場合には,警察に届け出る.警察への届出等に当っては,原則として,医療機関は事前に患者及び家族等へ説明し,理解を求める.但し,患者及び家族等の同意の有無に関わらず,必要な届出は行わなくてはならない. *医療機関の施設内報告の提案 a)医療従事者は,レベル0―5すべての医療事故を施設内の医療事故防止対策委員会へ報告する. b)医療事故報告書を提出した者に対し,報告書を提出したことを理由に不利益な扱いを行ってはならない. c)医療事故防止対策委員会は,すみやかに事故現場を保存し,事故関係者から個別に事実経過を聴取し,記録する.証拠隠滅ならびに改竄,事故関係者を集めて口裏合わせによる事故隠し等を行ってはならない. d)医療事故防止対策委員会は,事故の原因分析,組織としての責任体制の検証,事故防止対策の検討を実施し,施設内での情報を共有し事故の再発防止に努める. *都道府県への医療機関の報告の提案 i)レベル5および4については,事故後,内容をすみやかに報告し,さらに事故の原因と対策を徹底検査・検討した上で後日,報告書を提出する. ii)レベル3および2の場合,個別の事案ごとに防止対策を添えて報告する. iii)レベル1および0の場合,月ごとに院内でとりまとめをした上で,対策と共に報告する.(それを受けて,都道府県の取組についても言及するが,この点は割愛). →憲法38条1項により抵触する懸念はあるが,免責条件等が整備されれば妥当な方向性を示している (5)その他の提言 ・医療問題弁護団(2001年)ほか 3 医療事故の届出義務と医療事故防止の具体策 (1)立法論的には,より明確な規定を置くか,さらには,そもそも届出義務自体を刑罰で担保すべき事項から除外する方策も考えておく余地がある.→他の死亡事件との整合性 (2)誰が所轄警察署に届け出るべきかについても,判然としない部分がある.個人経営の診療所ないしクリニックであれば,もちろん当該医師自身であるが,大きな病院になると,看護過誤で死亡事故が発生した場合,死亡確認をした当該医師が単独で届け出るべきか,当該病院長が届け出るべきか.組織的対応ということであれば,後者であろうが,死因をめぐり意見が分かれた場合,問題となる.おそらく単独でも届け出なければならい場合もあろう. *都立広尾病院事件では,死因が明確であったにもかかわらず,病院での対策会議における意思決定により両者とも届け出なかったので,本罪の共謀共同正犯とされた. *組織的対応の場合には,原則として病院長の責任の下に届出体制を確立すべきである.そのためには,スムーズな院内連絡体制が整備されておかなければならない. (3)医師法21条の届出時間制限は24時間であることから,「時間との闘い」が予想されるケースもありうる.24時間以内の届出を常に犯罪とする条件を緩和すべきである. *都立広尾病院事件も,事故は1999年2月11日の祝日の午前中に起きたので,連絡が遅れ,結局翌日の朝に対応を迫られ,届け出るべきか否かについて揺れ動き,結局は都の職員まで巻き込んだため,24時間を過ぎてしまった.時間的余裕があれば,別の対応がとれたかもしれない.もちろん,そのような自体は想定されることから,普段から対応を組織として準備しておくべきである.→届出主体の確認 (4)死亡事故に至らない医療事故の届出については,少なくとも医師法21条の管轄外であるので,現行法上,所轄警察署に届け出る義務はない.しかしながら,国公立病院であれば,刑事訴訟法239条2項が,「官吏又は公吏は,その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは,告発をしなければならない」と規定しているので,死亡事故でなくても,医療過誤により重大な傷害が発生した場合には書面または口頭で検察官または司法警察員に告発しなければならない(刑事訴訟法241条1項).また,医療法5条2項は,刑罰による担保はないものの,都道府県知事,地域保健法5条1項の規定に基づく政令で定める市の市長又は特別区の区長に対して,「必要があると認めるときは,前項に規定する医師,歯科医師,又は助産婦に対し,必要な報告を命じ,又は検査のため診療録,助産録その他の帳簿書類を提出させることができる」と規定しているので,行政法レベルであれば都道府県単位で医療事故の報告義務を課すことができる. (5)届出制度は,医療事故防止に結び付かなければ意味がない. →医療事故の届出と刑事免責制度の導入を検討すべきである. →過剰な刑事法的対応は萎縮医療につながり,ひいては国民への医療サービスの低下につながる. (6)「妊娠4月以上の死産児」の検案と届出義務の問題 →射程範囲はどこまでか 4 おわりに ・医療事故被害者の救済(補償)制度の模索(例えば,ニュージーランド等の制度) ・医療問題を専門に管轄する医事審判制度(例えば,ドイツの医師職業裁判所)の提唱 【参考文献】甲斐克則『医事刑法への旅I(新版)』(2006・イウス出版)
日本産科婦人科学会関東連合地方部会会報, 43(3)
244-248, 2006
|