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第115回学術集会(平成20年6月15日(日))
【特別講演】
臨床医学会の社会的責任と裁量
大島 伸一
国立長寿医療センター総長
生殖補助医療問題,そして病腎移植問題は,社会的問題となり大きな混乱を生んだ.両者は社会的混乱となったという点では共通しているが,それぞれの問題の構造は異なり,同一に論ずることはできない.私の理解では,生殖補助医療の問題は,確立された医療技術の適応拡大という局面で生じた問題であり,しかも適応拡大についての評価が医学的判断というよりは,むしろ社会的判断の重視される問題である. 病腎移植問題は,医学的には禁忌とされていた悪性腫瘍の腎の移植,治療法として認知されていないネフローゼ患者の腎の摘出と移植,更に機能温存が標準とされている良性疾患の腎の摘出と移植といった,今までの腎疾患あるいは腎移植医療の治療体系の標準から外れた医療であるという点で,医学的な判断が重視される問題である. このように,本質的には相当に異なる問題ではあるが,これらの医療の在り方を巡って社会のなかで合意形成ができない状況が出現した.予測を超える問題が起こること自体はやむを得ないことでだが,問題が生じた時に,適切に解決する方法を持たないことは深刻である. 医療技術の進歩は,新たな倫理的,社会的状況を生む.科学技術は,病気の本態を突き止め,原因を明らかにし,特に20世紀には,飛躍的な進歩発展をもたらした.医療における倫理問題はこの科学技術の進展と不可分であり,大きな影響を受ける.川喜多愛郎先生の医学概論に,「病気があって医学が生まれ,病人のために医療がある.」とあるが,このように医師が患者の求めに対して,誠実に,その時代における最高の医療技術をもって応えるという関係が問題なく成立するのは,患者と医師の関係が1対1の関係で完結することが前提となる.ヒポクラテスの時代では,「知りえて害をなすな」が医療倫理規範のすべてであったが,当時の技術水準,医師患者関係を考えれば矛盾のない理にかなった倫理原則であった.医療技術の進歩によって,第三者の身体や身体の一部の利用が,病気の診断や治療の手段として有効となり,特に輸血療法や移植医療のように,生命の救済の切り札的な効果を生むことが証明されて,治療として確立されようになってから,医療における倫理問題の様相が大きく変化してきた.第三者の身体やその一部(臓器・組織を含む)の利用が可能となって,ヒポクラテス以来の倫理原則による対応の限界が明らかになった.輸血療法は,その効果の大きさと第三者への侵襲の少なさで,治療行為としての価値が認められてきたが,現在問題となっている生殖補助医療問題や病腎移植問題は,この延長上にある問題であり,諸外国においても,今では医学的な問題を超えて社会的・政治的な問題となっている.我が国は医学的にも政治的にも,このような問題への対応を怠ってきたと言わざるを得ないが,今後,臨床医学会としてどうあるべきか,そのあり方について考えてみたい.
日本産科婦人科学会関東連合地方部会会誌, 45(2)
106-106, 2008
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