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第122回学術集会(平成23年10月30日(日))

【ワークショップ2】
東日本大震災を経験して


安部 宏
太田西の内病院産婦人科(南相馬市立総合病院休職中)


 平成23年3月11日午後2時46分頃,三陸沖を震源地とする観測史上最大,M9.0の激震が東日本を襲いました.そして想像を超える規模の大津波が本県を含む太平洋側の海岸に打ち寄せました.波は人を,町を,そして原子力発電所を飲み込みました.当院は,東京電力福島第1原発から北に23キロの地点に位置します.この震災の被災地,被災者として経験した日々を報告致します.  南相馬市立総合病院は病床数230床で,産婦人科常勤医師は私1人です.3月11日当科の入院患者は産科8人,婦人科2人でした.病棟では分娩誘発を行っていました.震災が発生し,屋外退避に備え,まず入院患者を1階に移動しましたが,今度は津波に備え上階へ移動し直しました.階段での移動のため,歩行困難者の移動が大変でした.院内では,救急患者受け入れ準備を行い,スタッフが集まりました.砂まみれで,冷たくなった患者が次々と運ばれてきました.患者は絶えず,会議室,手術室,廊下と並べられ,まさに救命病棟のドラマの1シーンのようでした.私はトリアージIIの患者を診たり,0の患者を霊安室に運んだりしました.一段落したのは,深夜のことでした.12日午後3時36分ごろ1号機が爆発しました.原発周辺町に避難が指示され,私の入院患者は可能な限り退院させました.残ったのは分娩誘発中断となった人,切迫早産の人,婦人科でベット上動けない人でした.13日,翌日に分娩誘発,帝王切開を予定していた患者が入院しましたが,14日午前11時1分頃3号機が爆発したため,二人は警察の誘導で福島市に移動,入院しました.分娩誘発の患者は分娩停止で緊急帝王切開しました.その患者と切迫の患者を福島市に救急車で搬送しました.最後婦人科の患者だけが残りましたが,病院の入院患者全て転院させることとなった18日に,福島市に転院しました.福島市から戻り,1週間病院に寝泊りしていたので,避難の準備をしました.私の実家は原発から20キロ圏内のためもう入れません.この18日の昼間,私は父を郡山市に転院させ,母を同乗させ,避難させました.その夜私も郡山市に避難しました.現在,南相馬市立総合病院産婦人科は再開の目途はなく,私は休職することになりました.4月4日より郡山市にある太田西の内病院に勤務しています.この避難生活が解除されない限り,帰ることも,再開することもできません.生まれ育った地,思い出が沢山詰まった地はどうなるのでしょう.私にできる事は小さいかもしれませんが,生き残った私達が,再び心を一つにし,動かなくてはいけないと思います.私は産婦人科の中でも,産科が専門です.でも南相馬では産科は再開できないかもしれない.それでも「帰れる時がきたら,帰ろう.」今はそう心に誓い,原発事故の終息を待つ日々です.


関東連合産科婦人科学会誌, 48(3) 284-284, 2011


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