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第122回学術集会(平成23年10月30日(日))
【ワークショップ2】
東日本大震災とわが教室の産婦人科医師
派遣対応について
竹田 純, 牧野 真太郎, 楠木 総司, 依藤 崇志, 輿石 太郎, 金田 容秀, 須賀 新, 松岡 正造, 寺尾 泰久, 竹田 省
順天堂大学医学部産婦人科学講座
3月11日,我々は東日本大震災という未曽有の大災害を経験した.日々報道されている通り,多くの死者及び行方不明者を出し,その悲しみや損失は底知れない.被災地においての医療も混乱を極めていただろう.そんな最中の3月18日に東北大学八重樫教授より現地の状況報告及び応援医師の要請があった.昭和大学の岡井教授が呼応する中,当医局からも医師を派遣する方針となり,八重樫教授,岩手医科大学の杉山教授,東日本大震災対策本部長の吉村教授と連絡を取り合うようになった.
応援医師の条件として,2名1組で一人は認定医以上であること,自科麻酔により緊急手術が可能であることが望ましいと判断した.我々の医局では産科麻酔を必修としているのでこの問題は解決された.派遣時に2次災害に見舞われる可能性も否定は出来ず,また,災害ボランティア経験者からの助言もあり保険加入も必要と判断した.日本産科婦人科学会に連絡を取り,学会のご厚意により保険に加入させていただいた.被災地の状況(治安が悪い可能性もあり)を考慮し,男性医師を派遣する方針とした.
1週間交代で2名ずつ県立宮古病院に派遣する方針となり,翌朝さっそく被災地に向けて応援医師2名が出発した.陸路では緊急車両届が必要であったため,一刻も早く被災地に到着するために空路を選択し現地入りした.
現地での活動内容は主に救急も含めた外来対応と当直対応であった.当院では急速遂娩において鉗子分娩を選択しているので停電時であっても急速遂娩が可能であった.県立宮古病院では現地の先生方の迅速な判断により,多くの妊産婦は内陸の方へ移動されていた.そこで八重樫教授に再度連絡を取り,第2陣以降は気仙沼市立病院に医師を派遣する方針とした.
第2陣の派遣時には東北自動車道が開通していたため高速バスにより仙台入りする事が出来た.気仙沼市立病院でも主には外来対応と当直対応をし,自科麻酔による緊急帝王切開術などにも対応することもあった.第4陣では,本震以来最大の余震があり再び停電に見舞われる事態となった.重症を負った方もおり現場は騒然としたものであった.
今回,2名ずつ1週間ごとに計8名の医師を宮古県立病院と気仙沼市立病院に派遣した.派遣医師に怪我や事故などの重大な事態はなく,無事に職務を全うすることができた.
世界の大災害の報告として2004年新潟県中越地震,2005年Hurricane Katrina,2007年能登沖地震,2008年?川(Wenchuan)地震,2010年ハイチ地震等の文献が検索された.今回の活動を報告するとともに,これらの報告を合わせて考察する.
関東連合産科婦人科学会誌, 48(3)
287-287, 2011
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