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第122回学術集会(平成23年10月30日(日))

【ワークショップ2】
横浜市DMATとしての医療支援


小山 麻希子
横浜市立大学産婦人科


 東北太平洋岸地域への甚大な被害をもたらした本年3月の東日本大震災から約3週間後に宮城県気仙沼市へDMATの横浜市派遣チームの一員として医療支援に参加する機会を得られたのでその経験を報告したい.  発生から時間が経ち,高速道および一般道の補修が進んで東北内陸から沿岸地域への道路は一部を除いて大きな支障を来さなくなっていた.被害地域は湾岸および湾に流れ込む川沿いに広がり,また津波後の火災のため被害地域は壊滅的な被害であった.市内は主要道路以外は瓦礫の撤去が終わらず,道の両側に瓦礫が積み重ねられ風と共に砂埃が舞う状況であった.  地域の健康センターに設けられた本部の統括の元に各避難所の医療支援が展開されており,その中で横浜市医療班は山形県立病院のチームと合同で高台の津波の被害を免れた中学校の保健室を活動拠点としつつ,周辺の小さな避難所を巡回診療する形態で活動を行った.中学校体育館には約300名の避難者が居住し,暖房は乏しく衛生状態も保ちにくい状態であった.  診療内容は主に慢性疾患の投薬や上気道炎,少数ながら要注意の嘔吐症状,数人の瓦礫撤去に伴う外傷の診察で,規模は一日約70人程度であった.また上下水とも使用できない状態での大規模な感染症の発生が危惧される状態で,空き教室を利用しながら隔離・居住スペースの消毒作業等の対策を実施した.  気仙沼全体は,多様な職種,専門分野,役職の約30の医療チームを東京DMATが統括し日々刻々変化する状況を日々話し合いを持ちつつ対応していた.緊急物資は持ち込みと物流の改善から入手可能であったが,時間の経過とともに個別的対応への過渡期となっていた.そのため初期の全体としての医療情報の管理から個別への変更を手探りする状態であった.津波という災害の性質上,地域間被害格差が大きく,被災地域は医療機関ごと流失し,地域医療の再構築に時間が必要な状態であった.  経験し得たことと,問題点および改善可能と考えられた事項を含めて報告する.


関東連合産科婦人科学会誌, 48(3) 286-286, 2011


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